貴方の蓮に生を託す



この話は戦争をモチーフにした話になっております。
創作100%の、史実とは一切関係のない話ですが、不快に思われる方は読まずにページを閉じて下さい。
また、不勉強な部分が多く、常に増して読み辛い部分があると思われますが、生温く見逃してやってください。












前線に人員が追加される。その連絡があったのは二日前の事。戦局は今のところ我が国の有利のまま運び、上層はこのまま朝鮮から清軍を完全に撤退させる心積もりだろう。兵は勝ち戦に意気揚々としていて、このまま満州制圧は時間の問題に思えた。
合流するのは物資の補給を目的とした、十数の人員だ。もうすぐに移動が始まるのでゆっくりはしていられなかったが、司団長としてこれから加わる仲間と顔くらい会わせておこうかと向かったその先だ。
数名の部下を引き連れ、柔らかな絹の羽織が似合うその肩を軍服で尖らせる男。
こんな所で見る筈のない顔を見つけた鯉伴は、下がり勝ちの眼尻を目一杯に下げて驚きを表現した。
「よろしくお願いします奴良准尉」
視線の先、今は目立たぬようその髪色と瞳を黒に変えた義兄弟は、にやぁと悪質な笑みを浮かべて飄々と挨拶を寄越した。

「なんでお前さんが此処にいるんだ」
「そっくりあんたに返しますよ」
移動開始した鯉伴は馬に跨がる。傍を徒歩で歩く彼を、何時もの癖で馬上に引き上げようとしたが、寸ででその手を押し留めた。彼は此処では伍長、ただの一兵卒のだ。鯉伴の義兄弟の、奴良組の幹部ではない。規律を乱す真似は控えるべきだ。
そう、全く理由は判らないが、ここに居るのは鯉伴の知る【薬師組の鴆】ではない。補給部隊を率いてこの大陸にまで渡ってきた陸軍第三師団所属の伍長だ。口から出任せに違いない【薬師寺 善】などという名を名乗ったのには流石に呆れた。
常から顔色悪く血を吐いて寝込むのが日常であるような男と、この異国の戦地はどうにも噛み合わない。何故こんなところに居るのかという疑問以上に、ここまでよく来れたものだと言うのが正直な感想だった。
鴆はお世辞にも血色がいいなどとは言えない顔色ながらも、楽しそうに口の端で笑い、帽子のつばの下から鯉伴を見上げる。
「なんだって日本の妖怪の総大将が朝鮮なんぞにいるのか、お聞かせ願いてぇところですなぁ大将」
問われた鯉伴は押し黙ったが、隠すつもりはないので一呼吸の間を開けて口を開く。
「……オレにはヒトの血が半分入ってる」
「だから、妖怪の抗争だけじゃあなく、ヒトの戦争にも顔を出すってことですかい?」
その口ぶりは、鯉伴の行動を酔狂だと告げているようだった。事実、鴆にとってはそうであろう。
鯉伴は口を開きかけて、だが再び押し黙る。
鯉伴は自分が妖怪とヒトの間に生まれた半妖であると自覚している。だからこそ、父の持たぬ御業【鬼纏】を手に入れたのだし、自分が半身を置くヒトの世は決して他人事ではない。
妖怪は基本的に自分に益か否かで行動を決める。日本国民として、など言ったところで感覚のところで理解を得るのは難しい。ヒトと生涯を契った父親や、元はヒトであった首無や牛鬼でさえ、そうだろう。だったら誰にも知らせない方がいいと、そう思った。半年程度の放浪なら自身にとって全くない話でもなかったから、誰にも言わずにヒトの世に紛れ込んだというのに。
「鴆の方こそ、なんだってこんな所にいるんだ?」
酔狂と言えば鯉伴以上だろう。鴆の一族は総じてヒトを厭い、浮き世に関わらずに生きるのに、それがよりにもよって一番ヒトの欲が露骨に渦巻く戦場に立つなど。
自身への質問を避けると同時に、聞かずにはいられなかった問いだ。それを聞いた鴆は、鯉伴を見上げると呆れを隠さずに肩を竦めた。自分よりも三百も四百も年下の、ついこの間ようやく元服したと言っても過言でない短命の妖怪は、だが随分と人を食った、まるで少年だった時分に覚えがある子供の悪戯を見抜いた大人のような表情で。
「総大将が三月も行方不明なんでね。探すついでに賭けをひとつ、誰が一番に総大将を見つけるかってさ。首無の兄貴は今ごろ海の上。私はあんたは絶対前線にいると思いやしたんで、この通り一番乗りだ」
そう言ってくつりと咽喉を鳴らし、青と黒の旦那も違う部隊にいるかな、と軽い調子で続ける。
初めはただ眉を寄せていただけだった鯉伴は、話を聞いているうちにみるみる顔色を変えた。まさか奴良組幹部がこぞってこの異国の戦地に立っているのか。
「なんだって、」
「あんたがいるから」
鴆は、事も無げに言った。今日の天気を言うように、当たり前の事を告げる声で。
「私はヒト同士の戦争なんて興味ねぇんですがね、あんたはそうもいかんのでしょう」
ちらと鴆は、鯉伴の腰の軍刀に眼を向けた。奴良組総大将の持つ寧々切丸に比べれば、如何にも大量生産で拵えたなまくら刀だ。実際に戦場で使うことは滅多にない、権力を示すためのお飾り。
鴆という妖怪はこの大陸が出自だ。かつてその人に都合のよい、無味無臭の毒と見目の美しさから時の権力者が挙って【鴆】を獲りあった。鯉伴が匿った、奴良組の鴆の初代もそうした輩から逃れ、日本に辿り着いたのをたまたま見つけたのが出会いの切っ掛けである。
人を嫌い、権力を嫌う鴆にとって今の鯉伴はさぞかし醜いものとして映るのだろう。そう思い、鯉伴は自嘲混じりに口角を歪める。
鯉伴が黙っていると、鴆はこん、と乾いた咳をひとつしてから再び鯉伴へと視線を合わせた。色を変えようと宿る光は変わらない、強い意志の見える瞳が、不意に三日月を描いた。
「死人を減らすために従軍するのは結構ですが、私らに一言もなしってなぁお人が悪い」
祭りを独り占めは良くねぇですぜ。
そんな風に言われたのだった。
鯉伴はぱちりと瞬きをした。
「なに、」
「付き合えって、一言言やぁ良かったんですよ」
先の冷ややかな視線は作り物か。鴆は鯉伴を真っ直ぐに見上げている。
これは言わば鯉伴の勝手であって、奴良組の総大将としての行動ではない。だから彼らに言うことも、ましてや付き合わせるなど考えもしなかった。それを水くさいと詰る。
「この世の地獄、お付きあいしましょう」
鯉伴は苦笑に似た笑みで笑う。どうして、と思う気持ちはあったが、嬉しいと感じたのも事実だった。
「……酔狂め」
「皆あんたには負けますよ」
けろりと言った鴆はにやりと、薬鴆堂では見せない顔で笑った。




***
以前日記でちらと言った昭和の鯉伴の話の一部。とてもとてもオリジナル。鴆は今の鴆の親父様設定なのでキミウタの鴆とは別人。
戦争の話なので書くか迷ったけど、正直灰猫はヒトと共存する鯉伴なくしては鯉伴は語れないと思ってるので、どうしても書きたいモチーフではあったので今回アップしました。思う所があったらただちに下げます。