キミウタ



 綺麗だと、思った。
 そう思ったときには手は地に臥したそれを掬い上げ、柔らかく抱き締めていた。

「ってぇわけなんだが、鴉天狗、お前さんこいつが何か判るかい?」
 明け方に本家へ戻ってきた二代目が、その腕に素性の知れぬ妖怪を抱えていると報告を受けた鴉天狗は大慌てで鯉伴がいる部屋へと飛び込んだ。
 聞いた通り、そこにいたのは鯉伴と、折り畳んだ布団に丁寧に横たえられた一羽の鳥の姿だ。鳥は、一見鶴や鷺にも見えるが羽の色が珍しい。ウグイスのあの緑をもっと淡く、或いは深くしたような、と見るものそれぞれが違う印象を受ける不思議な、ただ一つだけ言えるのは全てに美しいと思わせるに違いない羽色だった。
「鳥形の妖怪など数え上げればきりがないのですぞ」
 と言いながらも真っ白な綿布団の上に横たわらせた鳥をしげしげと眺める。齢五百は軽く越える鴉天狗にしても見覚えがない。東日本を始め、全国各地出入りだなんだと総大将に付き従ってきた鴉天狗である。この国の妖怪ならほぼ知っていると自負していたのだが。
「大体奴良組の二代目となられたお方がそう易々素性の知れぬ者を連れ込むなど……それも、かように美しい妖怪を」
 怪しいと面積の狭い表情一杯に書いた古参の妖怪に、鯉伴は首を傾げる。
「綺麗だから連れてきたんだ。何か問題かい?」
「姿を変化させているならばまだしも元の姿でこれとあれば……魔性としか言いようがない」
 そう言って、首を振る鴉天狗だ。妖怪が魔性と忌むとは妙な話ではあるが、鯉伴には鴉天狗の懸念が理解できないでもない。
 美しすぎるというのは、それで一つの騒動の種になる。またそうであるための存在であるとも言える。人であった母が夭逝した後、妖怪の頂点に立つ父親の元には全国各地から後添いを狙う妖怪が押し掛けた。そのどれもが傾国と称すに相応しい美貌を持っていたが、父親は「おっかねぇからさっさと追い出せ」と言って逃げ回っていた。ぬらりひょんが自分に見向きもしない事実に逆上するくらいならまだ可愛いげがあったが、中には奴良組の側近妖怪を手玉どって、自分の勢力にしようとする者もおり、流石に見過ごせないと他の幹部が口を挟んで一時大騒動となった。
 彼女らが全て悪かったとは言わない。悪いのはその裏で手を引いていた妖怪であり、女の美貌に眼が眩んだ不甲斐ない幹部らである。
 だがそうした過去がある以上、鴉天狗が見知らぬ妖怪に警戒を抱くのは当然だった。
「捨ててこいとか言うなよ?」
 それら全て理解した上で、鯉伴はおどけたように肩を竦める。
 そんな態度に、鴉天狗はキッと羽毛に埋まった眦をつり上げて。
「言わせて頂きますとも! 自ら厄介を連れ込むなどと言語道断。いいですか、貴方はもっと二代目としての自覚をお持ちになって、!」
 頂きたい、と威勢よく続くはずだった嘴の先に、鯉伴の指先が触れた。形のいい、白い指の腹が水泡をも壊さぬほどの優しさでちょんと触れただけだったが、鴉天狗はまるで泥の団子でも飲み込んだように押し黙ってしまう。
 鯉伴は口許で笑み、小粋に片眼を閉じた。
「しぃ。怪我人の傍で騒ぐもんじゃあねぇぜ?」
 至極尤もらしいことを言って年長者を黙らせた鯉伴は、次の瞬間、その優しげな表情を父親そっくりに変えた。
「それになぁ、オレはもう決めちまった。こいつを仲間にするってな。総大将が決めたんだぜ? 文句は言わせねぇよ」
 何か企んでいます、と隠す所か見せつけるに等しい、有無を言わせない笑み。父親のそれに散々振り回されてきた鴉天狗が逆らえるはずもなかった。
 それでもまだ「やはり代紋を継がせたのは早かったのでは」など負け惜しみのようにぼやいていたけれど、小うるさい黒鞠のような姿はさっさ追い出し、ぴしゃりと障子を閉めた。それで廊下に群がっていた屋敷の小物妖怪らも、一斉に方々へと散っていく。
 その気配を意識の端で追いかけて、うちのもんは騒がしくっていけねぇな。とまるで他人事のようにぼやく。
 そうして傷ついた鳥の傍に膝を着いた。傷の手当てをした薬師は、一晩以上も眠りぱなしである理由を、傷は大きくはないが酷く疲れているのではないかと言っていた。
 鯉伴がこの妖怪を拾ったのは橋桁の下だ。川辺だったが、その姿は濡れてはおらず、上から流されてきたのではないようだったから、何かから身を隠している内に倒れたのかもしれない。
 こんなにも美しい鳥は、一体何から逃げていたのだろうか。
 呼吸も浅く、露見した傷さえなければ出来のいい人形のようにさえ見える鳥の傍で、鯉伴は煙管をくわえた。指先一つで寄ってきた鬼火に火を借りて、ふぅと煙を吐き出す。
 妖怪であるのはすぐに判った。鴉天狗の言う通り、こんなに美しい生き物が普通に存在するわけがない。これは【害】だ。そこにあるだけで周囲を狂わせるもの。
 そうと判っていても尚見過ごせない。
 弱いものを見過ごせない気質はヒト妖怪分け隔てなく優しかった母親と、懐の広い父親どちらに似ても道理だ。おまけに物心つく前から大勢の妖怪に見守られ甘やかされて育ってきた鯉伴は、構われたがりの構いたがりである。この江戸で、鯉伴の目につく場所で、傷つき倒れていたのが運のツキというやつだ。運が悪かったと後で泣かれても結構。
 今は傷つき、殆ど畏れを感じないが、それでも潜在する力を感じることはできる。その辺の小物妖怪のようなただただ使役されるばかりの妖怪ではないはずなのに、ここまで憔悴している理由も気になった。
 江戸で起こる妖怪間のいざこざで鯉伴の知らぬものはないと言っていい。自身の知らぬ間に何か大きな事件が起きているのであれば、それを把握するのも総大将の仕事、というのはただの建前だが、これがどんな理由で鯉伴の前に倒れていたのか興味は尽きない。
 ぷかりと浮いた煙を追いかけながら、鯉伴は指を立てる。
 そのいち、空腹で倒れていた。起きたら第一に飯を食わせれば恩義を感じた鳥は今日から奴良組。
 そのに、鳥が妖怪に化けたばかりで化けるのに力を使い果たし倒れていた。どの組にも入っていないからお前は今日から奴良組。
 そのさん、何処かの組に属していたが何らかの理由で逃げ出した。逃げた先が江戸ならお前は今日から奴良組。
「あとは〜……」
 くゆる白く濁った煙と、緩やかに上下する羽毛とを見比べながら、思い付く限りの仲間になる理由を探し続けた。不思議と飽きることはなく、このまま一晩を過ごすことになったとしても自分は一向に構わなかっただろう。
 五十を越え、そろそろ「酔っぱらって滑って転んだ」等の他愛ないものばかりが上がるようになって、「ああこりゃあこの間のオレだ」と自分の発言にちらと一人、笑みを見せた時。
 まるでその笑みが洩らしたほんの僅かな吐息に擽られたように、翡翠で紡いだ糸で作り上げたような羽が揺れ、小さな頭が人の覚醒と同じように小さく振られた。
「起きたかい?」
 ふる、と水面が揺れるような気配。
「――ッ!」
 鳥の顔が持ち上がり、とんぼ玉のような眼がくるりと鯉伴を見上げるなり、跳び跳ねるように立ち上がった。
 見知らぬ相手が傍にいたのだから仕方がないが、そんな急に動いては、と言う間もない。
「おいおい……」
 感情の見えない眼。だが明らかに鯉伴を警戒していて、そして。
「ぅおっ!」
 不意に畏れを感じた鯉伴は咄嗟に身構えた。その身体に鳥より放たれた羽が突き刺さる。拡げた翼から無数の羽が飛散し、切っ先が鯉伴めがけて飛びかかってきたのだ。
「よしな、って! イッ、チチ……」
 切っ先肌に触れた瞬間、焼けただれるような痛みが襲い、それが毒によるものだと気付いた。妖怪同士の戦いが畏れのぶつけあいなら、鳥妖怪より遥かに勝る畏れを持つ鯉伴に毒が致命傷となることはない。だが気を抜けば全身を巡りそうな痛みを感じる。
 顔を両手で庇ったが、その分両の腕と背中に被害が及んだ。避ける暇もない。幾ら毒が効いていないとはいえ、食らいすぎるのは危険だ。
「止めろって! オレァ助けてやったんだぜ? 恩を仇で返すってのはよくねぇと思わねぇかい」
 その言葉が通じたのか否か、無数に襲いかかっていた羽の威力が僅かに弱まった。
 その隙に腕で庇っていた顔を上げれば、鳥の姿はなく、薄物を纏っただけのヒトの姿をした青年がこちらを睨んでいる。
 大きくはだけた胸元には羽を彷彿させる紋様が毒々しいまでの赤で彩られていて、今しがたまで鳥の姿だった妖怪であるのは間違いない。髪の色は先までの羽色と同じだった。
 男を見た鯉伴は、片眼を見開いてみせる。
「成る程、こりゃあ別嬪さんじゃあねぇかい」
 おっぱいがありゃあ紀乃っぺより上だな。
 肌はまさに白磁と称すに相応しく、対の瞳は水底に眠る玉のようだ。ぎらぎらと放たれる野性味を帯びた視線がその赤を一層に輝かせている。
 見たところ男体のようだが、妖怪に性別など些細だ。否、男であるからこそ毛倡妓のようなこれみよがしな色気ではない、見るものの胸の奥から熱を引き出す艶がある。その視線といい、まるで刀だ。触れれば危険。だがその欲求に駆られる。
(成程、魔性には違いねぇな)
 内心で結論付け、鯉伴は青年に落ち着けよと身振りで示した。
「倒れてるアンタを勝手に連れてきた事は謝るさ。だが、放置も出来ない性分でな」
 ここは奴良組本家。オレは大将の鯉伴だ。そう告げた鯉伴は相手の顔を窺った。奴良組と聞いて何の反応もないなら、間違いなく江戸の外から来た妖怪である。
 そして、青年は予想通り鯉伴の名にもちらとも表情を変えなかった。どころか、普通は相手の名を知れば多少は相応の反応を見せるだろうが、それすらない。
 聞こえなかっただろうか。それとも、今なお全身より放たれる警戒の気配故なのか。
「お前さん、名前はなんてぇんだ? オレは今しがたも言ったが奴良組の二代目、奴良鯉伴だ」
 待てど、返事はなかった。警戒しているから、というより鯉伴の言葉がまるっきり素通りしている。聞いてないふりをするにしても、多少の反応はあって然るべきだが。
 相手の反応を試すように、鯉伴は言葉を繰り返す。
「名前だよ。お前さんの名前は?」
 返る言葉はない。
 だが、幾度か問いかけている内に青年の表情に変化が起きた。眉間にぎゅうと皺が寄り、瞳に苛立ちが見える。それは鯉伴に腹を立てているというより、もっと別なものを感じた。
 そこで鯉伴はぴんと来たのだ。
「もしかして耳が聞こえねぇのかい?」
 もしくは、話せないのか。
 その言葉も、正しく伝わったのか怪しかった。鯉伴の願いが通じて口を開いた青年は、何かを早口で言ったのだが、この距離で何を言っているのか判らないのだ。聞き取れる単語がひとつしてない。間近で犬に吠えられているかのように。つまり、
「ええと……もしかして、大陸もんか?」
 言語の種類が違う。相手が鯉伴の言葉を理解しないのもそれならば道理だ。
 青年は睨むような眼だけは変わらず、鯉伴を見据えている。
 まいったな。鯉伴は困惑などちらとも匂わせない表情で笑った。
 鴉天狗でさえ正体が判らないわけだ。流石の彼とてあの広大な地に住まう妖怪全てまでは覚えていないだろう。
 然しこれでは倒れていたわけを聞くどころではない。
「オレは鯉伴だ。りーはーん。判るか?」
 鯉伴は自分を指差し、なんども自身の名を伝えた。兎に角名前さえ交換すればなんとかなる気がしたのだ。青年は一度目の攻撃以降は鯉伴の言葉を聞こうとしているのだから、警戒こそするが敵対する意思はないはずだ。
「りーはーん。あんたは?」
 自分を指差して名を告げてから、相手の胸元を指差す。
 それを何度も繰り返している内に、怪訝な表情で鯉伴を見ていた青年だったが、口の中で何か呟いて軽く頷いたように見えた。
「我叫鴆。――ゼン」
 今のは聞こえた。そう感じたのは、相手が鯉伴に伝えようと思って話した言葉だからかもしれない。
「ええと……ゼン、でいいのかい?」
 鯉伴が問い返しても怪訝な顔のままで首を傾げる青年と、未だに意志疎通が出来たなどとはとても言えない。だがそれはあっているに違いないと思った。
「鴆だな。うん、覚えたからな」
 そうだろうと結論付けた鯉伴はうんうんと頷く。
「鴆、オレはな、りはん、だ。りはん」
「李?」
「はん」
「リハン?」
「そうだ。鯉伴だ」
 うんうんと頷けば、漸く通じた喜びに胸が熱くなる。
 そっと手を伸ばすと、青年は大きく肩を揺らしたが構わずにその頭に触れた。触れた髪は柔らかく、数度撫でていると青年の警戒が解ける。
「そうそう、肩の力なんざ抜いちまえ。ここじゃあお前さんの敵になる奴ぁいねぇんだから」
 言葉が通じないのは判っているが、それでも声をかけずには居られなかった。まだ所々、傷の痕を残す青年にここは安全な場所で、自分は味方なのだと伝えたかった。
 笑みと、体温。
 通じたのは定かではないが、鴆は俯き、はにかんで笑った。
「リハン……謝々」
 多分、礼を言われたのだろう。
 小さく笑んだ鳥は、先の警戒心丸出しの顔からは想像も出来ないほどに綺麗だった。鯉伴でさえ、咄嗟にこれを独り占めにしたい欲求が沸き起こったのを押し込めるほど。
「こりゃあ……他の奴らに見せんのは当分後だな」
 苦笑混じりの呟きに、意味を解さない鴆が首を傾げたのもやはり愛らしく、鯉伴は何でもねぇよとその頭を撫でてやったのだった。



***
オリジナル全開ですが後悔してません。寧ろそのための江戸部屋。
一部知り合いの方には散々語りつくしてきた鯉伴鳥を拾うの巻。
ぬら様が拾ったんだか鯉伴が拾ったんだかよく判らん鴆一族ですが(苦笑)、鯉伴が拾ったっぽいとなったのを見た時に灰猫の頭に浮かんだのが
鴉天狗「うちじゃ飼えないんだから捨ててきなさい!」
鯉伴「嫌だ嫌だ!オレが面倒みるからオレが飼うんでぃ!」
こんなやり取りでした。なのでそのまま採用。
この後鯉伴の口調を真似る内に、江戸ッ子のべらんめぇ口調になる初代鴆ですよ。