数寄もの同士



その日、ぬらりひょんは不機嫌顔で一日を始めていた。
むつりと口唇を硬く引き結び、僅かに眇めた上目で周囲を見回す。そうしていると端整な顔つきは一層の冷たさを帯び、傍に誰をも寄せ付けぬ雰囲気を纏わせた。
現実、些末な用件を抱えているものは話すのを躊躇い、どうしても急ぎの返事を要する用件を抱えたものもおっかなびっくり早口で伝え、そして逃げるように彼の前を辞していった。
あれじゃあ恐ろしくて敵わない。なんとかしてくれ。
そう嘆く組員らが泣きつくのは、何故か牛鬼の元だ。
火急だ兎に角来てくれとの呼び出しに、奴良組の一大事かと自身のシマである捩眼山を飛び出してきた牛鬼だった。だが、来てみれば本家は静かな緊張感こそあれ、特別何かが起こった様子もない。代わりに牛鬼を見るなり駆け寄るのは本家に属する数多の妖怪らで、誰しもが必死の形相。そして言うことと言えば「なんとかしろ」の一点張りである。
「オレに言って、どうしろと言うんだ」
それが下っ端の小物妖怪らならまだしも、幹部の一人であり、牛鬼よりも長い時を彼の傍で過ごしている筈の鴉天狗までもがそうして言ってきたのには、流石に眉を寄せた。
頼る相手が違うだろう、と言ったつもりだったのだが、そんな牛鬼の態度を不服と思った鴉天狗はきり、と太い羽毛に覆われた眉をつり上げ。
「我らが総大将の大事ぞ。お主はなんとも思わんか、牛鬼」
逆に責めるように言われる始末だ。牛鬼は益々眉間の皺を深く刻む。なんとも思わないわけではないが、暫く本家からは遠く離れた捩眼山のシマにいた自分に何とかできる問題だとも思えない。
だが、まるで自分ならばどうにか出来るに違いないと、皆が皆信じているようなのだ。自分はつい先程本家のこの様子を知ったばかりだというのに。
どういうつもりで、と思うのは、同時に抱えるある疑惑のため。
彼らは真実、牛鬼がなんらか出来ると信じているのだろうか。それとも、ただ面倒事を押し付けようとしているだけなのだろうか。
からかっているという可能性も否定できない。彼らは基本的に所謂悪戯にも全力を注ぐからだ。
「なにをすれば、いいと?」
真意を計りかね、答えを選ぶ牛鬼。
「判らぬ」
そんな牛鬼に、だが無情にも鴉天狗はきぱりと首を左右に振った。
やはり暇潰しに呼び出されたのか、そう思ってみれば。
「じゃがお主とおる時の総大将はなかなか楽しそうにしていることが多い。気が合うのか? いや、細かなことは問わぬ。ただあのお人はなかなかに、ほれ、気まぐれな方じゃ。なんぞ気の逸れるものがあれば気持ちも変わろうて」
例え不機嫌が爆発したところで被害は牛鬼のみ。安心しろ、骨は拾ってやる。
そんな声にならぬ言葉までも聞こえてきた。それは避雷針とは言わないだろうか。
牛鬼は無意識に己の顔の半分を手で覆った。俯いたその仕草に溜め息を隠して。
鴉天狗は何時もに増して早口でこちらに口を挟む隙を与えない。そして言葉を取り繕ってはいるが、要はとばっちりを食らうことなくこの事態をなんとかしたいという他力本願な思惑が丸見えだ。
目の前でやれやれとばかりに大きく嘆息を吐く鴉天狗。一仕事終えたあとのように清々しい顔で立ち去るその背を、一瞬母の墓前に、と思いかけていやいやと首を振る。あれでも一応奴良組幹部。百鬼夜行の首がそう頻繁に入れ替わるのもよくはない。
彼らの真意は何であれ、今日呼び出された理由は、総大将の子守りであるということは不本意ながら間違いなかった。
そして、それが断れぬものだということも。

まるでどんよりと厚い雲の垂れ下がる日のようだ。
今日のこの空模様と同じ。
奥で座ったまま、じいと動かぬぬらりひょんは腕を組み、眼を閉じている。彼らの言うように容易に近寄れる気配ではない。一歩踏み入れた瞬間に切りつけられてもおかしくないとさえ思える、緊張に満ちた部屋。
入り口で声をかけるべきか迷っていると、先に向こうがちらと視線を上げた。
「牛鬼か」
その眼に、牛鬼は首の裏がざわつくのを感じた。
「総大将……」
例えばそれはたらいの縁ぎりぎりまで水を満たしたものを手渡される一瞬のような、抗いがたい緊張。
「なんじゃそんな所で。近う寄れ」
指先が手招く。応じるか、思案は一瞬。
彼の前に膝を付きかければもっとだと言われ、じりじりと近付けばそこは彼のほぼ真横だった。
近すぎる距離に、下がろうと膝をにじらせるのを、止めたのはぬらりひょんで、動くなよといいおいた彼は牛鬼の脚の上にごろりと寝転んだ。傾いだ身体を支えようとした手が宙を掻く。
牛鬼にできたのは、動くなと言われた通り、ただ重みのかかる膝をじいと耐えるのみ。
「頭痛がしてのぅ……なんっにもやる気が起きん」
寝るから膝を貸せ、と言うのだ。
「ではすぐに薬師を……」
体調不良を聞いた牛鬼は外に向かって声をあげようとしたが、目の前でひらりと揺れた白く形のいい指先。
「いいいい。この雲が悪いのは判っておる。不味い薬を飲んだところで気休めにもならんわ。寝るに限る」
そう、うんざりとした口調で言う。
皆が心配しておりましたぞ。と言えば「たまには肝が冷えてよかろう。季節外れの肝試しじゃ」と返されるが、その声もやはり常の艶が些か欠けているようだった。
牛鬼の膝の上でおさまりがいい場所を見つけたのか、静かになった主の、畳の上に広がる極上の絹のような銀糸を撫で鋤いて。
「闇より生まれし、妖怪の主になろうという方も、お天道様には敵いませぬか」
揶揄れば、ちらりと寄越された視線。童のように感情をそのままに写し出す、焔より深紅の瞳だ。
「ここぞとばかりに言いおるわ」
ぼやき、眇められた眼差しが牛鬼に寄せられて。
ちょいちょいと指先が動く。
なにかと思い身を屈めれば、にやりと口元が笑んだ。
まずい、と察したときには既に遅く。体調不良などまるで思わせぬ力で牛鬼の頭の後ろを力任せに引き寄せる主。
下から口唇を舌の先で擽られたと思えば、
「こういう時はな、子は黙って親に膝を貸すものぞ」
眼も合わぬ至近で囁かれた言葉と共に、牛鬼の妖気を喰らうがごとく荒い仕草で口を吸われた。舌の根が痺れるほどに絡め取られ、唾液を啜られる。下から伸びた手に後ろ頭を撫でられ、耳、頬、そして眼の上の傷痕に触れられる。普段髪に隠したそこは他人に触れるはおろか、見せもしない牛鬼の弱味だ。そこを、なんの遠慮もなく撫で擦る主の、その時に考えていることなど牛鬼には到底測り知れぬ。
散々に牛鬼の口と、意識をも掻き回した主は猫の笑みで最後にさらりと牛鬼の髪をすいた。
文句があるなら聞いてやろうと、傲慢な視線が牛鬼の言葉を促す。
「――親は子の口を吸いますまい」
散々に迷った後に、苦虫を噛み潰したような牛鬼に、主はくつくつと悪びれぬ顔で笑った。だが頭痛が堪えるのか、それは何時もよりはずっと控えめなものだった。

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楽しかった、です!!
リク鴆とは別枠でぬら牛大好き。然し世の中逆がメインか。まぁ茨がデフォの身としては寧ろ俺らしい。
リクオより俺様で相手気遣わない、自由気儘な妖怪を体現してるじっさまと胃薬ポジションな牛鬼ラブ。