所有の印はそっとつけて



 今日は何の日だっただろうか。厄日。それともこちらの方角は鬼門だったか。
 体調がいいからといって調子に乗ったのがいけなかったのだろうか。然しそれとて常人からみれば他愛ない喜びの一つであるというのに。もしそれすらも許されないのだとしたら、己は結構な不幸のどん底に生きる生き物なのだなぁ、と鴆は何となく遠い眼になりながら、思った。
「鴆様、すごくお似合いです!」
 右隣で興奮に尻尾を立てた雄の三毛猫がそう断言する。
「鴆様チョォ〜可愛らしいわぁ」
 左隣ではつり眼を色っぽく流し眼にした雌猫がそう言い、鴆の頬をつ、と撫でる。彼女は見目も可愛いし、触れ合う程に近いその肌から香る甘い微香はこんな空間に相応しい、男を喜ばせるそれだ。だというのに、嬉しいのに、喜べないとはどんな我慢大会だ。
 鴆はむつりと口唇を突き出し、差し出された鏡に映る己を見遣った。
 血色がいいのは、体調がいいからであって、尚且つ少量の酒を嗜んだからだ。雨水を迎えたというのにまだまだ寒さの抜けない気候の中、珍しく数日体調のいい日が続き、上機嫌だった鴆はその気分を存分に味わうべく屋敷を出て、ここ奴良組御用達の店へと来たのだった。その、時期が不味かったとでもいうのだろうか。
 鏡に映された鴆の頭には今、見慣れぬ大きな耳が生えていた。鳥の化生である鴆には不似合いの虎柄の、いわゆる『猫耳』である。無論偽物のそれは、頭の形に添ってかっちりと填められていて、激しく頭を振りでもしない限り外れることはない。ぱっと見では髪の色と馴染んでいるのも相俟って、本物と錯覚しそうなほどである。
 それを持ちだされた当初、鴆は抵抗した。何故鳥である己が猫の物真似をしなければいけないのだと、それはもう結構な勢いで抵抗した。
 然し今日ばかりは分が悪かった。店に勤める従業員総出で宥めすかされ、手足を取られ、半ば強引につけられてしまった。
「やっぱり今日という日にゃあこれがなきゃ始まらねぇってもんでさ」
 満足そうに良太猫は言う。
 今日という日、そう今日は年に一度の『猫の日』というやつであるらしい。ただ日付が二月二十二日で二が三つ並んでいるからというだけの理由らしいが。二でにゃんと読むというのなら、二でちゅんちゅんちゅんでもいいではないか、と思うが生憎そちらが流行りそうな気配は、今のところない。
 鴆は気付かなかったのだが、今日は客の全員がこのカチューシャを着けることが義務付けられているらしく、入り口にそういった旨の張り紙もあったそうだ。態々戻って確認したりはしていないが。
「こりゃあ、今日一日つけてなきゃあいけねぇのか?」
 普段頭の上に何かを飾ることをしない鴆には、慣れないそれは二重の違和感だ。頭にものがあるのも嫌だし、猫も嫌だ。出来れば外したい、と視線で続きを訴えたのだが、周囲の化け猫たちは不服そうだ。
「駄目ですよぉ鴆様。今日は猫の日なんですから!」
「そうっすよ、それにお似合いですからすぐに外しちまうなんて持ったいねぇです!」
 だから、そんな褒め言葉は嬉しくない。鳥である自分に相応の自尊心を持っている鴆の眼が細くなる。
「ねぇ鴆様ぁ、記念に写真撮りましょうよ〜」
「お、そりゃあいい。リクオ様にも是非この姿を……」
「バッ!! 止せッそれだけはやめろッ!」
 それまではこいつらも物好きだな、とやや傍観の姿勢をとっていた鴆だが、それには慌てた。こんな姿、ここにいる連中に晒すだけでも恥ずかしいのにそれを絵に残すなどもってのほかだ。おまけ本家に見せられたとあっては薬師一派の面目丸潰れである。
 それだけは、とぴたりと肌を寄せてせがむ雌猫をかわして、必死で拒絶する鴆。きゃいきゃいはしゃぐ彼らは何処からかポラロイドカメラを持ち出している。
「はい鴆様ぁ、笑って笑ってぇ!」
「だから、っ!」
 勘弁してくれ、そう叫んだ鴆の声が、不意に上昇した。声のみではなく、鴆の身体が、である。自分で立ち上がったわけでは、ない。
「何やってんだお前ぇ」
 そんな呆れた声と共に、まるで子供のように両脇の下に手を差し入れられて、軽々と持ち上げられた鴆だ。そのまま座敷の後ろに立たされる。振り返った鴆を、憮然と見遣るのは夜の主だった。
「リク…ッ」
 鴆は眼を見開かせ、言葉を詰まらせる。指先が小さく震えた。
 戦慄く指を、すがるように伸ばした。
 触れる、感触。
 瞠目。幾度か瞬きをして。
「えらく可愛くなりやがったなぁまた!」
 爆笑。リクオの頭にもまた、大きな三角が二つ、生えていた。
「人の事が言えた成りか」
 溜め息を吐いたリクオは目の前の縞柄に触れる。それ自体にはもちろん感覚はないが、頭に感じる僅かな触れられた感触に鴆は顔を赤らめた。
「あっ……」
 これには深いわけが。否、わけもなにも今リクオがしているのと同じ理由だが。然し鳥妖怪の己がよりにもよって敵とも言える猫の耳をつけるなど、リクオにはさぞかし滑稽に映っていることだろう。
 俄然羞恥が込み上げ、本当は己の方が身長は高いのに、上目になってリクオを窺う。リクオはそんな鴆と、その後ろでこちらのやり取りを見ないふりで聞き耳を立てている店員らを見遣って。
「おまけに女侍らしてまぁ楽しそうなことだなおい」
 小声で付け足された苦言は、鴆にはいまいち通じなかったようで、何のことだと首をかしげられる。そうすると頭の上の耳も同じように傾いて揺れるのだ。
 これでは怒りも持続できない。
「酒飲んでただけだぜ?」
「判ってるさ」
 その言葉に嘘がないことも、隣にいる女を可愛いとは思っても、それ以上の感情を鴆が抱くことはないと断言できることとも。それでも面白くないのだと言えば、己の狭量さを曝け出して見っとも無いことになる。
 眇めた眼差しで鴆を見れば、ほんのり酔っているらしく薄紅の頬を嬉しそうに緩めている。あぁもう、こんな所に一人で来たことも、己の知らぬところでそんな楽しい姿を曝しているのも咎めたいのに何も言えない。
「で、良太猫」
 背を向けたまま耳だけを好奇心の塊のようにひくひくと動かしていた店主に声をかければ、ばねでもついているかのように勢いよく飛びあがった。
「へい! あ、酒ですか?」
「酒もいいが……」
 言って、再び鴆の身体を引き寄せる。
 うぉっ! 驚きの声をあげてふるふると頭を振った己の猫を抱え上げて。
「奥の座敷、借りるぜ。酒は廊下にでも置いててくれ」
 そう告げれば腕の中で暴れる鴆だが、それしきでリクオが腕を離すわけもない。良太猫はその光景に一瞬視線を彷徨わせたもの、さすが商売人とでも言うのか、すぐに「かりこまりやした!」と応えを返した。
 他の客もいるというのに全く構わず、リクオは鴆を抱えたまま歩きだした。止せ、とか離せ、とか聞こえるが無論聞いてやる道理などない。
「お前ぇが何処で遊ぼうが誰と遊ぼうがどうこう言って制限してやるつもりはさらさらねぇんだが……」
 結局今日ここにいる間だけで幾度重ねたか知れぬ溜め息をまた一つ、重ねて。
「そんな格好は反則だろう。なぁ鴆?」
「知るかっ! このっ……バカモンがっ!!」
 顔じゅう真っ赤にした鴆の暴れ過ぎた頭からずるりと耳がずり落ちたのを見て、漸くリクオははは、と声をあげて笑った。






- - - - - - - - - - - - - -


→書きたいもの(=二人の猫耳)に忠実になった結果、話の軸というものをこの世のどこかに置いてきました。でもいいんだ。好きな物書いて後悔はない。
漫画で見たいなぁこれ。
にゃんにゃんな二人超可愛いぜ絶対。という、主張。二人がにゃんにゃんしてればそれでいい。

TETLE by Fortune Fate