月の夜に秘めたる禁は。



捩眼山には古くから温泉が沸く箇所がある。天然に湧き出ていたそれを、今では牛鬼その本人が管理をしている。といっても組頭が独り占めしているわけではなく、皆で公平に使うために名目上そうしている、というだけ。奴良組きっての武闘派と名高い牛鬼組の面々が怪我を負うとお世話になる湯だ。
そしてその恩恵を受けるのはなにも牛鬼組にのみ限ったものではない。奴良組に属するもので、牛鬼の許可さえ下りたならば、誰でも利用できる。
今正に暖かな湯に溜め息を吐いた鴆も、そうした内の一人だ。
血の巡りをよくする温泉は体内の毒の排出を促すし、温泉の湧き出る地は土地そのものの気が強い、所謂霊場と呼ばれる場所であることが多く、そうした土地は鴆の妖怪の血を高め、毒に弱った身体を癒してくれる。
一度牛鬼に勧められてこの温泉に浸かってからはすっかり気に入ってしまい、療養という名目で度々訪れるようになった。乳白色の湯は柔らかく、硫黄の嫌な臭いも少ない。
ぬるめの水温もちょうどいい。山の空気が冷たいのもあって、少々長湯をしても逆上せないからだ。
湯の中で思いきり手足を伸ばす。絡み付く湯を掬って、また雫を跳ねさせて腕を伝わせ元あった場所へと流す。子供っぽい行為ながらそれが妙におかしくて、何度も繰り返した。
「はぁ……」
満足そうな吐息を一つ。鴆は空を仰いだ。秋も深まる空は澄んだ空気に星が煌めく。
ここに来たときにはよく牛頭丸や馬頭丸に絡まれるのだが、今夜は二人とも山の見回りに出ているため、とても静かだ。ゆっくりしていけ、という言外の牛鬼の計らいだろう。
その心配りを有り難く受けとり、血の巡りのよくなった頬を岩肌に押し当てた。外気温は肌寒いくらいだが、今の鴆にはそれが気持ち良い。
もっと長く浸かっていたいが、そろそろ上がらなければ湯中りしそうだ。だがもう少し。

「いい眺めだな」

体調と未練とを秤にかけていれば、突然かけられた声。よく知る、だがこの地で聞くとは思わなかった。
「リクオ?」
慌てて振り返れば、湯を囲う岩の先に、先までは確かになかった姿がある。流石はぬらりひょんの孫といったところか。どのタイミングから見られていたのだろうか。岩にしゃがんだリクオは、鴆を見下ろしにやにやと笑っていた。
「お前の屋敷にいきゃあ留守を知らされてな。牛鬼んとこだっつーから亭主が居ねぇ間に浮気でもしてんのかって慌てて飛んできちまったじゃねぇか」
「バカモノ誰が亭主だ」
鴆は湯のためではなく顔を赤くしてそっぽを向いた。
だがすぐに顔を戻す。
「心配掛けてすまなかったなリクオ。ここの湯は俺の身体に合ってるみてぇでよく使わせてもらってんだよ」
彼の言う通り一晩で鴆の屋敷に行き、そして捩眼山に来たのだとしたら、嘘を吐く理由もないのでそれは真実だろう、結構な道程である。浮気だなんだと言う理由だけで来たのではないのは容易に知れる。鴆はついこの間まで床を離れられない身だったのだ。それがこんな近いとはとても言えない距離を移動したと聞かされれば、心配するに決まっている。特にこのまだ若い鴆の主は、本人の自覚以上に鴆に対して過保護で心配性なのだ。
すまねえ、ともう一度謝った。仮にも鴆は鴆一派の組頭なのだから、不在にするのを本家に知らせたって不自然ではなかったのに、それをしなかった自分の不手際を詫びた。
「なんだなんだ、しつこく謝るのはあれか。てめぇやっぱり牛鬼と……」
「あるかバカモノ!牛鬼に謝れ!」
顔を真っ赤にして怒鳴ったせいで頭が眩む。背にした岩場にもたれ掛かった鴆だ。
「血が昇っちまったか?」
リクオの声。問題ないと言う代わりに手を振ったが、リクオは一跳びで岩の彼方から此方へと移ってきた。
鴆が眼を開けると、頭から覗き込むリクオと眼が合う。鴆の瞳がしっかりしているのを確かめたリクオは目尻に安堵を滲ませた。
ひたり、と鴆の額と眼の上に冷たいものが触れた。リクオの掌だ。何時もならばリクオのほうが体温は高いのだが、今は湯で体温が上がった鴆よりも低い。
気持ちよくて、掌の下の眼を閉じて溜め息を吐いた。
「気持ちいいのか?」
「ああ……」
頭の上でリクオが笑う気配がする。もう片方の手が今度は頬に触れ、そこから輪郭を辿るように顎、首筋をなぞる指先。冷たい。猫をあやすように喉仏を擽って、鴆が首をふれば一瞬離れる、けどまた戻ってくる。子供の悪戯のように。
「リクオ…遊んでんなよ」
しつこく触れる指に、鴆の手が重なった。リクオは反対にその手をとり、そして再び鴆の口唇に触れる。
「んだよ、」
鴆の手が止めようとするのを、払って。視界は隠したまま、湿った口唇を割って、口内に指が差し込まれる。
「んっ……」
眼を隠す掌に額が柔らかく押さえられて、自然と顎が前に出る。頭の上からの力には、抗えず、差し込まれた指が、口蓋をなぞる。ざらりと指の腹が辿るのに首の後ろを痺れが走った。
無意識に逃げようとした舌が捕まり、先端に触れたのを切っ掛けに絡め取られる。唾液を絡めた指がぬる、と舌を愛撫する。爪の先で甘く引っかかれて、咽喉が小さくひくついた。
視界が塞がれている分他の感覚がそれを補うように敏感になる。舌を愛撫する指の腹、肌にあたる乳白色の湯ですら。
「……ッ!」
吐息が洩れる。歯を噛み締めることが出来ないので堪えられない。口内に溜まる唾液を掬われ、舌に触れる。口を吸われているときのように息が詰まって、背筋から力が抜けていくようだ。
「は、んっ……、クオ…!」
「ん? のぼせたか?」
笑み交じりの声。鴆の肌が染まる理由が湯だけでないと判っているくせに、気付かないふりで。
「や、ぁ…」
ふるふると首を振る鴆だ。リクオの掌は鴆の体温と混ざりあって、既に冷たさとは無縁。濡れた音を立てて指が引き抜かれた。それと同時に視界も開放される。去り際のリクオの指先が己の唾液に光っているのを見てしまった鴆は、羞恥に眉を顰めた。
「リクオ、何のつもりだ?」
「そりゃあ」
憮然とする鴆を、逆さまに覗き込むリクオ。湯煙にしめる髪が顔の横を流れて鴆の頬を擽る。
ぐ、と顎を取られて強引に合わせられる視線。金色の瞳が物騒に輝いた。
「俺に一言の知らせもなしに他の男のシマなんかに逗留するような躾のなってねぇ阿呆鳥が、浮気してねぇかの確認だろ?」
笑っているが笑っていない。口では茶化しているもの、どうやら怒っているらしいと容易に知らしめられる。
「あ、のな、リクオ……」
流石に何か言わねば不味いと、鴆はしどろもどろに口を開く。だが、逗留といったがここには来たばかりで然もすぐに帰るつもりだったとか、また彼の前で情けない姿を曝したくなかったから体調を整えてから会いたかったのだとか、そんなことは言うだけ無駄のような気がした。
うん? と一応は聞くような素振りを見せるものの、その強い視線は語ることを許さない。
「上がれよ、湯中りしちまうぞ?」
リクオが再度言った。
それに、鴆は反射的に首を横に振る。今上がったら身の危険だと察した本能。然し理性が見たのは拒絶した鴆に、舌舐めずりをした若き主の姿だ。
選択の誤りに、気付いたところで最早手遅れ。
「逆らうのか?」
鴆、と吐息混じりの低い声。滲む畏れに温まり、解れたはずの鴆の肩が強張る。
「湯の中がいいたぁ酔狂だ、が……」
ぐっと顎が捕まれた。仰け反った先、リクオの金色に光る眼が鴆を縛る。
「お前さんがそっちがいいってんなら、吝かじゃあねえ、な」
月よりもなお光を放つ金色がにぃ、と弧を作る。
捕われた鴆はただ、ひゅと喉を鳴らした。

「あ、馬鹿お前…っ」
湯が波打つ。
背中は天然そのままの岩場で肌が傷つくと、鴆の身体が水中を浮いた。慌てて掴んだのはリクオの着物の背。湯がしみて色の変わったそれを握り、鴆は焦って声を出した。
「着物!色変わっちまうだろ」
着衣のまま温泉に入ったリクオだ。上等な着物なのに温泉なんかにつけてしまっては駄目になってしまう。
今からでも脱げと襟を引っ張る鴆の手を、疎ましげに払うリクオは至近距離の鳥の眼を覗き込んだ。
「この期に及んで着物の心配か?それより自分の心配をしちゃあどうだ」
呆れの溜め息交じり。それと同時に口唇を、今度は彼自身のそれで塞がれた。
ばちゃり、と力なく水面を叩いたのは鴆の手の甲。
ただでさえ軽い鴆の身体は、浮力も手伝ってリクオの望むがままに体勢を変えられる。リクオの身体を跨ぐ形で抱き寄せられ、密着した肌の表面を湯が滑る。着物を着ているリクオとは反面、肌を覆うものなど何もない鴆だ。羞恥がこみ上げるも、逃げも隠れもできない有様で。
口付け一つで息が上がる。呼吸の間も与えられず、舌の根が痺れそうな程きつく吸われて、尖った犬歯が甘噛みするのを、恍惚と受け入れるのみだ。
抱き寄せたリクオの手が鴆の腰をなぞる。もう片方の手は散々に胸の尖りを弄び、鴆の羞恥を煽った。
「ぁっ、ふ、ぁ…!」
あまり日に当たらない鴆の肌は薄く、リクオの指先で充血し、立ち上がる。赤く熟れたそこは、湯が波打つだけでも疼きを伝えるから堪らない気持ちになった。
胸を離れた指は背に回り、骨の数を数えるように、首の下から一つ一つまどろっこしくなるほどにゆっくりと下る指に、否応がなしにその先を期待する身体が震える。はぁ、と息を吐くがそれだけでは到底体内に沸き上がる熱は堪えきれなかった。
「ん、ふ……」
然しリクオの手はその先へは進まず、際どいラインで焦らすように行き来する。双丘の間を辿る度に鴆の身体は震え、要に触れず離れる指先に溜め息が零れた。
鴆は湯に沈んでいた手をリクオの背に回す。湯の染みた着物の端を握りしめるが、然しそれ以上が出来ない。リクオはすっかり鴆を焦らすつもりで口付けを解いてからも首筋や鎖骨に吸い付くばかりだ。
勝手に腰が揺れるのを堪えられない。今以上の快楽を求め、疼くけれどその度にリクオの手はひらりひらりと鴆の肌の上を踊るようにかわすのだ。触れられもしないままに反応の兆しを見せる自身の先がリクオの腹部と擦れるだけの些細な刺激でも堪えきれずに吐息混じりの声を噛む。
「は、リク、……ッ」
「ん?」
着物を握る手に力が籠る。素肌ではないのが焦れったい。そうであったなら主の肌に爪を立ててこの焦燥を伝えられたのに。
下から覗き込まれ、金色の瞳に映る自分はどんな顔をしているのだろうと考えた。きっと、欲に餓えたあさましい顔をしている。
「リクオ、…ッ!」
息を飲んだ。先まで寸でのところで引き返していた指が鴆の秘処をなぞった。たったそれだけでも鴆の身体は大きく崩れ、周囲で水音が立つ。
つぷり、と爪先が固い蕾を割り開く。吐き出した息がリクオの髪を僅かに揺らした。
「あっ、あ……」
柔らかな湯を纏った指が入り口浅く押し入るのにふるりと頭を振った。浅い箇所で内壁を広げるようにぐるりとなぞられる。鴆はびくびくと背筋を戦慄かせ、着物に爪を立てた。
「はッ…ぁ、リク、湯……っ」
指の隙間から温泉の湯が入り込んできていた。己の体温ともリクオのそれとも異なる温度に鴆の肌が粟立つ。
嫌悪か快感か判らずに身を捩らせた鴆だが、却ってリクオの爪先が思いもよらぬ箇所を引っ掻き矯声をあげた。硬く締め付ける内部でリクオの指がぞろりと蠢く。
「っあ、あ……」
膝に力が入らず、リクオの首にしがみつくばかりの鴆だ。くすくすと鴆の身体を支えてリクオが笑う。
「どうした鴆。重ぇじゃねえか」
軽い口調でそう言いながらも下肢で遊ぶ指先を止めるつもりはないようで、内側から己の理性を突き崩された鴆は返事ともつかない高い声をあげるばかりだ。
リクオの指と、互いの体温とも異なる熱い湯の感触。指では触れぬような奥にまで感じるそれが、無意識に怖いと思った。嫌だと首を横に振るのだが、すがる先は結局リクオで、鴆を辱しめるのも助けてくれるのも結局この男しかいないのだ。
濡れた着物を握りしめる鴆は眼下のリクオを見つめ、堪えきれぬとその口唇に吸い付いた。上がりっぱなしの呼吸のせいで深く舌を絡ませていられなくて、口唇を触れ合わせてはその下唇に噛みつく。己の口から飲み込めなかった唾液が零れてぬるぬると滑った。
「可愛い催促の仕方を覚えたじゃねえか」
くっとリクオが笑った。然し彼にも余裕はないようで、鴆のリクオを跨いだ脚の付け根に指ではない熱が触れる。
「リクオ、っ早く!」
わかってる、と囁いたリクオの声が掠れている。先端が鴆の入り口に触れ、ぐ、と力が入った。
「――――ッ!!」
がくりと鴆の身体が仰け反り、意識が白く焼ける。
己の声が夜空に飲み込まれていくのを聞きながら必死にリクオにしがみ付いた。あとはもう、箍が外れたようなリクオの動きにただただ翻弄されるばかりだった。



眼を覚ましたとき、鴆は柔らかな布団の中にいた。見慣れぬ高い天井に、ここに至るまでの記憶を呼び覚ます。ああ、最後に気を失った、その直前までの記憶はちゃんとある。随分と無茶をしたものだ、と他人事のように考えた。まだ意識がはっきりしていない。
傍に気配を感じて首を巡らせれば、そこには手拭いを絞る牛鬼の姿があった。眼が合うとすいと細い眼が眇められ、額に心地よい冷たさが乗せられる。
「悪ぃな」
謝ったのは、今のこの看病に手を患わせていることにか、昨夜の過ぎたお遊びのことか。
牛鬼は器用に片方の眉だけを跳ねあげて見せる。
「そう思うならば、年長のお前が自重することだ」
「っつってもなー…」
尤もな忠言に、鴆は苦く笑った。
誰が彼に逆らえるというのだ。彼こそが夜を統べるのに相応しい男。
身も心も囚われた飼い鳥風情に何が言えよう。
「無理だろ。俺はあいつに心底惚れてる」
切ないほど。苦しくても逃げ出すという選択肢さえ生まれないほど。おいたの一つや二つを咎める権利さえ、己は自身に与えていない。
知っている、と牛鬼はその答えを予想していたようにさらりとと言った。
「若にも進言はした。殺す気がないなら控えるようにと」
「ははっ、説教かよ」
鴆は横になったままで堪えきれずに笑った。牛鬼の説教は兎に角長いのだ。それも苦言をつらつら並べるのではなく、ぽつりぽつりと己の罪を並べた後に無言で見下ろされる。あれは辛い。かくいう鴆も経験があった。未だやんちゃが許された幼い頃の話だ。
変な姿勢で笑ったから息が詰まった。軽く咳き込んだ鴆を、呆れた眼をした牛鬼が見下ろしている。
「無茶をするな」
「させたの誰だよ」
まだ笑みの残る顔で鴆が言う。
牛鬼は何か思案を含ませた瞳で鴆を見つめていたが、何も切り出さずに腰をあげた。つられるように顔を上げれば、いつの間にか障子に人一人分の影が生まれている。入ってこないのは先の牛鬼の説教が堪えたからか。然しその気になれば二人に気配を悟られぬようにすることなど容易いはずなのに、こうして姿を気付かせるのだ。
言いかけた言葉を飲み込み、本家には此方で伝えておこうと呟いた牛鬼はリクオの姿がある方とは反対の襖を開け、部屋を出ていく。それと入れ違うように障子がスライドした。
現れたリクオは何時もの覇気がなく、昼のような顔をしている。鴆が眼を覚ましていることに安堵したようで、眼が合うと眦が僅かに緩んだ。そんなリクオに、鴆は気丈に口角をつり上げる。
「情けねぇ顔じゃないか」
次期総大将殿ともあろう者が。布団の中からそう揶揄れば、馬鹿野郎とリクオはふてくされたように呟き、枕元にどかりと乱暴に、然し埃は立たぬように座り込んだ。
覗き込む瞳に反省の色を見つける。何時もは傍若無人に見えて鴆の身体の限界を越えるような事はしなかったため、寝込んだ鴆に不味いと思ったのだろう。
そんな顔をされて、これ以上鴆が怒れる筈がない。
「死ぬなよ?」
「死ぬかよ」
優しく触れる掌に、体温を教えるように頬を寄せる。まだ少年らしい柔らかさを残した指は鴆の肉の薄い頬から耳、髪へと順に触れた。
指先からリクオの気持ちが流れてくる。労りと、愛情。たかがシマの一つを任されているだけの、死にかけの自分なのに信じられないくらいに愛されている。本来彼を支えるものとしては戒めるべきであろうこの想いを、だがこれ程までに真摯に寄せられては拒むなんて出来る筈がなかった。
鴆はリクオの手に己のそれを重ねた。
「言っただろ?この山の霊気は俺に合ってるんだって。多少無理したって、そう簡単にくたばるかよ」
ま、風呂の中はもう御免だがな。
そう言ったときに、安心した顔になったリクオが、それでも一瞬一瞬残念そうな色を浮かべたのに鴆は笑った。





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→長くなりました。エロだからか?
牛鬼と鴆は遠い親戚くらいの仲良しだといいです。節度を保った付き合いというか。一歩離れた場所から見守る保護者みたいな。